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秀頼の子の国松は潜伏している所を捕らえられて処刑

秀頼の子の国松は潜伏している所を捕らえられて処刑、また娘の奈阿姫は僧籍に入ることで助命された。徳川家光の代には秀吉の墓まで幕府によって暴かれ、長宗我部盛親はじめ残党の追尾は10年以上に亘って行われた(徳川幕府転覆を企てた由井正雪の片腕とされた丸橋忠弥は長宗我部盛澄といい長宗我部盛親の側室の次男という)。盛親以外には、細川興秋は父・細川忠興から自刃を命じられ、増田長盛は盛次の罪を背負う形で配流先の岩槻で、また古田織部は国松を匿った疑いでそれぞれ自刃した。明石全登の行方は定かではないが、その息子・明石小三郎は寛永10年(1633年)に薩摩で捕まっている。

戦後、大坂城には松平忠明が移り、街の復興にあたった。復興が一段落すると忠明は大和郡山に移封され、以降大坂は将軍家直轄となり、『天下の台所』と呼ばれる商業の街になる。幕府は大坂城の跡地に新たな大坂城を築き、西国支配の拠点の一つとした。

一方、松平忠輝は総大将を務める天王寺合戦で遅参したことが理由の一つとなり、翌年に改易となった。松平忠直は、大坂城一番乗りの褒賞が大坂城や新しい領地でもなく「初花肩衝」と従三位参議左近衛権中将への昇進のみであったことを不満としており、後に乱行の末改易となった。

この戦いを境に戦国時代より続いた大規模な戦闘が終焉した。これを元和偃武と言う。

真田信繁(幸村)
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大坂夏の陣での真田信繁(幸村)の活躍は江戸時代でも歌舞伎などで演じられ、錦絵に描かれるなど、徳川政権下でも後世へ語り継がれた。特に、江戸中期頃に書かれた「真田三代記」は信繁のみならず真田一族の名を高めるのに貢献した。

天王寺合戦は島津家の「薩藩旧記」で「真田日本一の兵、古よりの物語にもこれなき由、徳川方、半分敗北」、「家康が切腹も考えるほどだった」などと記された。 また家康本陣を守備していた藤堂高虎の一代記である高山公実録にも「御旗本大崩れ」と記され、藤堂勢は一応の応戦はしたものの、真田隊の勢いの前では効果無く、ほどなく家康は本陣を捨ててしまい、高虎自身も、家康の安危を確認できなかったと振り返っている。後に真田隊の猛攻を恐れ、家康を残して逃走した旗本衆の行動を詮議したという「大久保彦左衛門覚書」(三河物語)も残っている。

真田隊や毛利隊がどれだけ家康自身に迫ったのかは諸説あり、そのため後世の錦絵や再現イラスト、歴史漫画では様々な想像図が描かれている。また、家康の周囲にいた人間も小栗又一、大久保彦左衛門など本によって様々である。

信繁自刃についても諸説があるが、一般的には「安居神社で石畳に腰をかけているところを討たれた」と言われている。安居神社は天王寺公園・茶臼山の北にある一心寺の北にある。これは明治時代に旧帝国陸軍参謀本部が制定したものとされ、安居神社にある「眞田幸村戦死跡之碑」には戦死の地の選定に関しての参謀本部の関与を示す一文が刻まれている。

信繁を討った松平忠直隊鉄砲組頭西尾宗次は信繁を討ったときを誇張して報告した為に、家康は宗次の「信繁を討ち取った」という報告を真に受けようとしなかったとも言われている。宗次は後に、地元の孝顕寺(福井市)に「真田地蔵」を建立して信繁の菩提を弔っている。

秀頼生存伝承

鹿児島県には、「信繁は合戦で死なず、山伏に化けて秀頼?重成を伴って谷山(鹿児島市)に逃げてきた」という俗説がある。京都大坂では陣の直後あたり、「花の様なる秀頼様を、鬼の様なる真田がつれて、退きものいたよ鹿児島へ」という童歌が流行ったという。

家康討死伝承

「家康は信繁勢に傷つけられ、堺のさる寺(南宗寺)に逃げ込みそこで亡くなった」という俗説があり、南宗寺境内には「家康の墓」も現存している。

大坂城攻城法伝承

大坂冬の陣で家康は一旦和睦し堀を埋め立てた後に再度、兵を挙げる事で大坂城を落としているが、この方法は家康が存命中の秀吉に直接聞いたものという逸話がある。

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2009年05月30日 07:28に投稿されたエントリーのページです。

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