第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争後
第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争後、汎スカンディナヴィア主義は一時停滞したが、1856年にオスカル1世は、スカンディナヴィア学生大会に出席した学生らをドロットニングホルム宮殿に招き、「今や北欧諸国間の戦争は不可能となった」という演説をした事から、再び昂揚して行く。さらに1857年には、スウェーデン・デンマークの軍事同盟が提唱された。これは、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題に対する自衛策であったが、スウェーデン政府はこの案を否決した。オスカル1世は1859年に没したが、その子であるスウェーデン王カール15世に国策として引き継がれた。しかしこの頃には、すでに汎スカンディナヴィア主義は退潮の兆しを迎えていた。それは、北欧諸国の政府による幕引きでもあった。その一方で、北欧諸国民による北欧三国による統一国家が真剣に検討されていた。汎スカンディナヴィア主義の火は消えず、時のデンマーク国王フレデリク7世に後継者が生まれないことを契機に、フレデリク7世がカール15世を養子にするという形で、スウェーデン・デンマーク王室主導の「スカンディナヴィア連合王国」も模索されていた。これは、中世以来の「カルマル同盟」の再興の意味を持っていた。統一国家の首都はイェーテボリになるとまことしやかに囁かれた。
すてきな友達
たんたんたぬき
どんぶりトリオ
ぱちんこは私の癒し
ひとり暮らしトライ
ブロッコリー
まちぶせコンピュータ科学
モン吉コンピュータ人類
れんこんまん
安津美の日記
黄金のトランク
花のメルヘン
環境生活情報
休日の昼下がり
空の案内人
浩子の自然エネルギー
山のクリスマス
樹の夏まつり
小さな花びら
新生活応援
1863年、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争再来の暗影の中で、スウェーデンのイェーテボリで国民会議が開かれた。その主旨は経済会議であったが、出席たちの北欧の政治統合を目指した「北欧連合議会」の設立が主張された。これは「北欧連合国家」樹立を目指した、汎スカンディナヴィア主義の最後の昂揚であった。